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ミライニツナガルナニカ

人事採用コンサルタントの前田が日々感じたことを中心に書いています。

【働き方改革】仕事の価値と仕事の評価はどう違う?

ワークスタイル・仕事術 日記・雑記

今夜は15年前に入った会社の上司との情報交換ディナーでした。僕はその上司と出会って、いろんなことを教わったのに、4年ほどで転職したりワガママし放題でしたが、今でもお付き合いいただけるその懐の広さにただただ頭が上がりません・・・。

ややお酒が入っておりますが、その方とのマネジメント論がとても充実したひと時でしたので、頑張って書いてみます。

マネジメント論という表現は、マネジメント側、つまり経営側の視点です。当然に働く個人があってのマネジメントですので、僕としては、経営側と働く側の中間から考えを述べたいと思います。

働く個人側の視点という意味では、「働き方改革」という言葉が頻繁にメディアに出てきます。マネジメントも働き方もどちらも僕にとっても大事なテーマですので、この手のテーマの記事はできるだけ目を通すようにしていますが、全然整理できていません。ですが、書くことによってまとまるかなぁという期待をしつつ書いてみようと思います。

ブログに書く以上公開されることを前提にし、正しいとか間違っているとかを論ずる予定はなく、僕自身の理解や捉え方はこんな感じです、という書き方になることはご容赦ください。

先に、今日僕が伝えたいことを書きます。

『仕事の評価は価値に遅れてやってくるので、縁があって目の前にやってきた仕事は主体的・情熱的に取り組むとよいですよ』です。

経営者やマネジメントポジションにいる方は、この考え方に共感いただける場合、ぜひ社員の方にお伝えいただきたいと思います。

働き方改革ってどんなことをテーマにしているか 

まず、「働き方改革」のテーマでよく取りあげられているキーワード達について、カテゴリはバラバラですが、一旦羅列してみます。

国を挙げて議論しているテーマですので、とても裾野の広い議論となりますが、今回は僕は人事マネジメントの観点で書こうと思います。

社員がイキイキと生産性高くパフォーマンスを発揮してもらうために、人事または経営はどうあるべきか。労使の関係が変わったと考えるべきか、従来の労働の定義では説明ができない仕事環境といったらいいのか。

その中で、生産性が高いとか低いとか、同一労働同一賃金の論点って、「ヒトの仕事の評価」に関わる話しだなと考えています。

僕自身、だいたい20年位の間で5社以上の会社で働いてきまして、それぞれの会社で人事評価を受けてきました。また、マネジメントポジション(評価者)として人事評価もしてきました。

評価者と被評価者の両方を経験した上で最近考える事というのが、仕事の価値と仕事の評価 です。

「生産性=単位時間あたりのアウトプット」と考えると、同じ能力や経験値のヒトを比較する場合、

  • 前向きに、情熱的に、主体的に取り組むヒトと、
  • 後ろ向きに、冷め切った感覚で、受動的に取り組むヒトでは

前者の方が生産性は高くなります。

仕事を生産性高く取り組むには何が必要なのか

前向きに、情熱的に、主体的に取り組むためには、「自分が行っている仕事には価値がある」と自分自身が思えるかどうかが重要だと考えています。僕はきれいごとではなく「価値のない仕事はない」と考えています。ただ、「評価」と組み合わせた会話になると、混乱するというかごちゃごちゃになっているケースがあるのかなと。

仕事をしている時間は、人生の中のかなりの割合を占めています。それなのに、働いている個人と仕事を提供している組織との間に、認識の齟齬があると“お互いが不幸せな感じ”に繋がっていくと考えています。 

具体的に言うと、

  • こんなに一所懸命働いているのに一向に評価されない、という働く個人の気持ちや、
  • 一所懸命に働いているとは思えないけど、仕事の出来栄えがいい場合の評価のしづらさ、という評価者側の気持ちなど、

仕事のプロセスや仕事のスタンスと仕事の成果が上手くリンクしない場合に“不幸せな感じ”が生まれます。この理由を考察してみました。

全てがこの軸で説明できるかどうかわからないですが、仕事の価値と仕事の評価について“人称軸”と“時間軸”で整理できるかもしれないと考えています。

まず人称軸による“価値”と“評価”の表現ですが

  • “価値”=自分にとって有益なもの(自分が決めていい)
  • “評価”=他者にとって有益なもの(自分じゃない誰かが決めるもの)

と分けることができるのではないかと。

そこに、時間軸(過去と未来)を重ねてみますと、仕事の価値と仕事の評価はどう表現されるでしょうか。

  • “仕事の価値”の過去視点:自分の成長の軌跡(と、自分で考える)
  • “仕事の価値”の未来視点:未来につながる投資(と、自分で考える)
  • “仕事の評価”の過去視点:報酬を(他者・会社が)決めるための材料
  • “仕事の評価”の未来視点:次にやってもらう仕事を(他者・会社が)決める材料

こんな感じかなと。 いかがでしょうか。

例えば・・・

『自分が大事だと思って取り組んでいることが、他者から評価されないからといって、そこに価値がないと考えないこと。』

ということです。
だからといって、上記の『 』の言葉の逆が正しいかというと違います。

『他者が評価するからといって、自分が大事だと思えないことに取り組んでも、そこに価値はない』

これはそれっぽい感じがしますが、僕は同意や共感をしません。

評価は価値に遅れてやってくるかもしれない

"Connecting the Dots" の話しはご存知でしょうか?我々は未来を予言することはできません。出来る事といえば、過去を振り返ってみてはじめて、全ての出来事が今に繋がっていることがわかるだけという話しです。

“仕事の価値の未来視点”=“未来につながる投資”と書きました。

例えば、仕事に役に立つかもしれないスキルを学ぶことや色々調べたり、実験的にやってみる事。他者からの評価を受けるまでのアウトプットや成果は出ていないけれども、始めていること。要は「まだ評価できない」ということがあります。

では、それらは「価値がない」と言えるでしょうか?  
いいえ、まだ評価されるほどになっていないだけで、価値はあります。

僕が伝えたいことは「他者からの“評価”が全てではないですよ」ということです。今この瞬間に評価を受けなかったからといって、その仕事にはきちんと価値はあります。少し遅れて評価がやってくるだけですから。

仕事の価値と評価について、僕の考えを書いてみましたが、いかがだったでしょうか。読み返しても論点が飛躍しているところがありますので、随時加筆修正していきたいと思いますが、まずはアップしたいと思います。

今回もお読みいただいてありがとうございました。