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ミライニツナガルナニカ

人事採用コンサルタントの前田が日々感じたことを中心に書いています。

明日は今日の延長なの?

日記・雑記

今日はとても暖かいですね。11月の気温だそうです。
昼に外に出るときなどは、体が縮こまらないのはいいですね。
明日も、というか今週は金曜まで暖かいって天気予報で言ってました。
さて、今日は先週末に感じたことを少し書こうかなと思います。

明日は今日の延長なの? 僕は違うと考えています。
明日は「今日の“次の日”」ですけれど、延長ではないと考えています。
実は色々変化しています。気が付かないほどの微小な変化が起きています。
その変化に気づいて行動しませんかっていうお話です。

寝て、起きると翌日。

昨日の続きが始まる感じがします。
身体もそんなに変化はないし、家族だって、友人だって、仕事だって、
昨日の延長線にあるかのごとく、それほど変わらずに、近くに存在しています。

でも、微小の変化はあるはずです。
地球は1日分軌道を変え、季節は1日分進み、モノは1日分劣化し、生き物は1日寿命を削り、人間は1日分成長する。

まるでジワーっと芽が育つように。

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 何でこんなことを書こうと思ったかというと、コントロールできない環境の変化ってあるよな。って思うことが1日の中でいくつかありました。

なんか、そういう日だったのかもしれません。

開かずの踏切 

馴染みの自転車屋さんに行くのに線路の踏切を渡るのですが、これが全然開かない。イジワルされているのかという程開かない。イライラもしましたし、「なんでいまどき、平面で交差する箇所とか残しているのかね」と完全な八つ当たりモードになりました。

 

そしてふと思い出したんです。

そこそこ前の話ですけど、僕の最寄りの線路が一部区間とはいえ、高架(一部は地下化)になり、その区間の踏切が全廃になったんです。そしていくつかあった「開かずの踏切」がなくなったんです。

一部高架か全面地下か、については、建設コストやメンテナンスの問題など、素人には分からないですが、当時から両方検討されていました。日照権や景観など当時の論争も結構派手にやってて、「高架絶対反対!」という横断幕が線路の北側の家は軒並み掲げていました。

実際にものすごい反対運動があったのですが、結論からいえばガッツリ高架の線路になりました。

日差しの問題は重要ですが、一定のルールの下で開発しているので、受容するしかないんじゃない?と考えます。

「ゴネ得」ってあるのかもしれないし、本当に譲れないものがあるかもしれないから、あくまでも一般論ですけれど。

 

会社が統合? 

たまたまその日に話した古くからの友人が、
「会社が別の会社と統合することになって職位が変わるんだ」と言うのです。
これが結構な落ち込みでして、励まそうと思ったんですけど、
「お前はいいよな、起業とかできてさ」なんて言われちゃうもんだから、
「お前もすればいいじゃん」とかるく切り返したところ、
「無理だよー、この歳でお前みたいな冒険できないよ」など、
まるで僕が無計画でその場しのぎでノリと勢いだけの男のような言い方をするものですから、少々カチンときたものの、
「確かに冒険かもしれないけどさ、とりあえずブログとか頑張って書くから応援してくれよ」と、いい人になりました。

 

自分の勤めている会社って、1日の中の長い時間過ごすので、それこそ「昨日の続きが今日で、明日は今日の延長」って考えがちです。僕も20年位会社員をやっていましたので気持ちわかります。

でも、管理職をやったり、人事をやったりしていると、会社の色々な決定が水面下で進行していくのもわかります。人事異動はその典型的な例ですね。

変化は起きる。それを受容する。でも受容するだけでいいの?

住んでいる家の環境、勤めている会社の環境、どちらも自分にとってはとても重要な環境ですが、必ず変わります。今の状況が素敵な環境だとしても変わります。逆に今の環境がとてもつらくても変わります。

でも、環境が変わることを受容するだけでいいのかなと。

そもそも環境ってなんでしょうか。

人間または生物を取り巻く、まわりの状況。そのものと何らかの関係を持ち、影響を与えるものとして見た外界。 (googleより)

そうですね、環境って「まわりの状況」なのです。当たり前ですけど僕ら自身じゃないってことなんです。

 

環境の変化は絶対に起きるとして、自分自身はどうなのか?
1日経過するごとに1日成長してるのか??

僕は成長し続けたいって考えてます。

このブログ読んでくれているかなぁ・・・